2017年の節祭は、伊谷家にとって例年以上に大きなものでした。
節祭そのものは3日間にわたり執り行われますが、その半月ほど前に公民館総会が開かれ、準備と練習が本格化します。
節祭にかかわるこの間の記録を、伊谷玄が日記形式で綴ってみました。
トゥチになる
10月27日の干立公民館臨時総会で、今年の節祭のトゥチ(船頭)をやることになりました。
トゥチとは、本来節祭における芸能の総責任者です。
いわゆる祭の象徴的存在で、歳さえとればやらせてもらえるという役ではないので名誉なことです。
本土から移住してきた者が務めるのは三人目だそうです。
きちんと務められるよう、気合いを入れて練習に励まなければ。
練習開始
総会の翌日から練習開始。今年の練習期間は10日ほど。
夜8時から、ドラの合図とともに始まります。
トゥチは浜や御嶽でうたう歌の練習です。
男は御嶽で奉納する狂言と棒術の練習、女はトゥチといっしょに歌の練習ですが、今年は女子中学生も参加しました。
小学生以上の男子は棒術の練習、女子に役はありません。
老人の多くは、各芸能の指導にあたります。
トゥチには、良い声が出るようにと、黒砂糖入りの島酒が準備されます。
最初の3日間は公民館の中で、座って歌詞を覚えながらの練習です。
立ち稽古
座って歌う練習から、実際に巻き踊りをしながら行う立ち稽古になりました。
トゥチは男2名女2名の計4名。
古い島言葉の歌なので、歌っていても意味はさっぱりわかりません。
一息で長く歌い、ゆっくりと微妙に変化する曲調のものばかり。
これまで何回も聞いていた歌ですが、自分が歌うとなると難しい。
自分なりに譜面をおこし、工夫して覚えています。
でも立ち稽古に入ると、もう譜面を見ることはできません。
「ほとんど覚えたみたいだね」と声をかけられますが、違います。
覚えた所だけ声を出しているだけです。
先達たちの苦労が太鼓に刻まれていますが、全く役に立ちません。
11月に入り、仕事で使っているパソコンから、朝から晩まで節祭の歌が流れています。
聞きながら口ずさんでいますが、いざ練習に立つと「あれっ??」
側で聞いている子供の方が先に覚えたりして悔しいです。
気分転換に庭に出ると、ショウキズイセンがきれいに咲いています。
初冬の頃に咲く、ヒガンバナの仲間です。
なんとか本番に間に合わせねば…!
11月7日 ムラングトゥ
節祭のための部落作業です。
ミリク様を迎える芸能を行う浜の清掃、旗頭が通る際に樹木の枝がかからぬよう集落内の屋敷林などの剪定などが行われました。
11月8日 トゥシヌユー
節祭の初日トゥシヌユー(年の夜)は、己亥の日に行う。
大晦日にあたるこの日は、元旦にあたる明日行うユークィ儀式の準備です。
男は祭具の点検整備、婦人は祭の料理の準備です。
トゥチの役目は、パーリャ(舟漕ぎ競争)の航路標識を立てること。
トゥチ(船頭)はその名の通り、パーリャで船頭を努めます。
どんな竹をどこで採り、どうやって立てるかを残り番のトゥチから学びます。
各々の作業が終わったら家に帰り、各家ではシチマシカッツァ(節蔓)とナライシャー(樹枝状サンゴ)でトゥシヌユーの祈願をします。
夜はウブシクミ(総予行演習)ですが、天気は雨模様。
公民館の中でウブシクミを行いました。
11月9日 ショーニチ
節祭の2日目ショーニチ(正日)はユークイ儀式の日です。
風は強いけれど、昨日までの荒天が嘘のように晴れました。
干立は満潮に合わせてパーリャを行うので、年によって開始時間が変わります。
今日の満潮は12:13なので、パーリャは11時半頃から。
その前に船の抽選やヤフヌティを行うことを考えると、9時半には公民館で準備を始める必要があります。
婦人たちは、ユークイ儀式の前に神司が各御嶽で行う祈願の供物料理の準備があるので、午前3時に公民館集合でした。
ビドゥントゥチ(男船頭)の衣装
初めて袖を通すトゥチの衣装。
干立の男にとって、憧れの衣装です。
浴衣の上にタナシ(苧麻に藍で型染めした衣装)を着け、水色のナサーチ(長手拭い)で左右の袖を通して肩で袖上に結びます。
頭にはブー(苧麻)で作られたウチピ(風呂敷)を被り、白の鉢巻を結びます。
いずれも干立が代々受け継いできたものです。
家内がこの日に間に合わせて作ってくれたアダン葉草履を履いて、いざ出陣。
ヤフヌティ
公民館で舟の抽選を終えた舟子とアンガーは、旗頭を先頭に前の浜へ下ります。
アンガーは陸側、船子は海側にそれぞれヤコ(櫂)を持って一列に並び、トゥチは列の後ろに付きます。
トゥチの合図で舟漕ぎの所作を始め、ヤコが揃ったところで、ゆっくりとヤフヌティを歌い始めます。
よい日和に節祭を行える喜びや五穀豊穣の祈願・神々の御加護を待ち望む歌で、青空のもとで歌うのはとても気持ちがいい。
列の先頭で薙刀を振っているのはうちの次男坊。
歌い終わるたびに、嬉しそうに隊列を駆け抜け、私の後ろを回って戻っていきます。これを3回繰り返す頃には、隊列はフタデウガンの近くまで移動しています。
いよいよパーリャです。
パーリャ
舟漕ぎは2回行われますが、大事なのは1回目のウガンパーリャ(神事の舟漕ぎ)。
満ち潮に乗ってやって来る神々と豊穣は、勝った舟に乗って迎えられるとされていることから、本気の勝負です。
アダンの葉で舟を清め、舟子が乗り込むとヤコを垂直に立て、フニヌジラバを朗々と歌います。
歌が終わると同時に全力で漕ぎ始めます。
…が、ここで残念なお知らせです。
歌の練習はしましたが、船頭の練習はしていません。
というわけで、蛇行した我が西の舟は惨敗。
コントロールのコツを掴んだのは、2回目の余興パーリャの後半を過ぎてから。
全力を尽くしてくれた舟子の皆さん、ごめんなさい。
来年は勝ちます。
アンガー踊り
パーリャが終わり、トゥチがイビでウシマユーが漕ぎ寄せたことを報告すると、
節祭の舞台はフタデウガン(干立御嶽)に移ります。
集落の重鎮や来賓の挨拶が終わると、一番狂言を皮切りに奉納芸能が始まります。
トゥチ4名が内側、婦人のアンガーが外側に円陣を作り、アンガー踊りを厳かに演じながら4つの歌を奉納します。
歌い出しのキーが高すぎて途中で声が出なくなったとか、途中で歌を飛ばしたとか、以前のトゥチ伝説を散々聞かされるなか演じましたが、練習の甲斐あって無事に奉納することができました。
歌が終わり、退出しながらアンガーによるダドゥリッターを送り出すと、トゥチの表舞台はとりあえず終了です。
ふ〜。
狂言と棒術
アンガー踊りが終わると、狂言と棒術の奉納です。
前日のウブシクミで選抜された芸達者たちによる狂言は見応えありです。
特に二番狂言の川平早使いと三番狂言は、内容を理解して見ると、その表現力に拍手喝采です。
棒術では、練習当初はヘラヘラしていた二人の息子たちも、本番では気合いの入った伝統的な棒術を演じてくれました。
地元の青年(壮年?)に混ざって、教員住宅に住む学校の先生方の必死な演武も好評を博していました。
ミリク行列
奉納芸能が終わると、ミリクガナシ(弥勒菩薩)のミヤ巡回です。
ミリクを先頭に、アンガーと棒術の若者たち・トゥチが行列で広場を練り歩くことで、ミリクユー(弥勒世)とウシマユー(大島世)が村に訪れ、神々の御加護と豊年が約束されたことを表します。
行列が二巡する頃、いよいよオホホガナシの登場です。
異邦人が大金や財宝で婦女子を誘うが、誰にも相手にされない様子を演じ、人々への戒めとしていると考えられます。
ここ数年は、オホホが怖い子供の怯える様子と、オホホがばらまいたお金に群がる子どもたちが新たな見どころになっており、一層の戒めを感じざるをえない今日この頃です。
シーシャー
シーシャー(獅子)は悪霊や亡者・災害・厄を払ってくれる百獣の神として尊崇され、行事の終わりに座を清めるために登場します。
通常獅子舞は雄雌2頭で行われますが、干立は昔から1頭だけ。
その由来は定かではありませんが、今年は若い獅子が勇壮に厄を払ってくれました。
道歌
御嶽での奉納が終わると、旗頭を先頭に2軒のトゥリムトゥ(集落の基となった家)を回り、それぞれで再び奉納芸能を行います。
その移動の際にササラニシを歌います。
ここしばらくは歌える者がわずかしかおらず、寂しいトゥリムトゥ回りでした。
しかし、今年は一味違います。
10月に行われた竹富町古謡大会で発表するために練習したので、ササラニシを歌える者が増えたのです。
堂々と大きな声で歌えることは気持のよいものです。
フタベ(字保家)の近くまで来ると、道歌はミリクブシに変わります。
スリズ
トゥリムトゥ周りが終わるとスリズ(公民館)に戻り、すべての芸人が参加して4回目の奉納芸能を行います。
この頃になると、トゥチは体力的にも精神的にも厳しい状態にありますが、最後まで気は抜けません。
獅子舞が終わり、ガーリをする頃にはすっかり暗くなっていました。
胴上げが始まり、公民館長と行事部長・トゥチ4名が宙に舞いました。
ブガリ直しの前に、チカからトゥチに労いの言葉がありました。
ブガリ直し(慰労会)では、各指導者の先輩方からそれぞれの演目について講評をいただいたところ、全員が絶賛でした。
干立の行事は、必ず辛口のダメ出しがあり、ケチがついて終わるのが恒例です。
なぜだ!いったい何がよかったんだ?という謎をはらんでユークイ儀式は無事終わりました。
明日は節祭3日目、ツヅミです。
11月10日 ツヅミ
ツヅミの日は、水恩感謝と村清めの儀式を行います。
まず、村の創建当初に住民を支えた水場「ウィヌカー」、以前使用していた水道施設「チクラヤン水道」、祭事に縁の深い3つの井戸の清掃です。
干立では、井戸の清掃は一年でツヅミの日にしか行ってはいけないのです。
朝8時30分に集合し、ビーバー(刈り払い機)と熊手・スコップを持って、二手に分かれます。
私は今回ウィヌカーへ。
ムトゥウガン入口からウィヌカー周辺までの草を刈り、ウィヌカーに溜まった泥を上げ、きれいにしました。
「チャーネーカー」と「ジンバイカー」・「スーカー」の3つの井戸は、青年がスコップで泥をあげました。
10時30分頃に作業終了。
次は午後1時半公民館集合です。
水恩感謝の儀式
再びトゥチの衣装を身に纏います。
干立第3の旗頭シーシャ頭を先頭に、棒術の子供たちとアンガー・トゥチの順にウィヌカーへ向かいます。
ウィヌカーの広場に旗頭を立て、水場に供物の料理と酒・線香を並べたら、水源に向かって拝礼します。
カサンパ(クワズイモ)の柄杓で水を受け、その水で割った酒を回して皆で味わいます。
クバデーサー(モモタマナ)の葉に載せられたウサイ(料理)が配られ、一息ついたところで、ドラと太鼓の合図で子供たちが水源に向かってシーシャ棒を披露します。
演武が終わると、全員でガーリを舞い、旗頭を先頭にスリズへ戻ります。
村清めの儀式
スリズに戻ると、再びシーシャー頭を先頭に村清めを行います。
集落の一戸一戸を回り、ドラを鳴らしながら屋敷内を一周し、アンガーがガーリを舞うことによって、厄や悪霊を門戸から追い出していきます。
家の者は、お礼にブガリ直し用の飲み物を提供します。
公民館長や行事部長・トゥチの家では旗頭を立てます。
詳しいことはわかりませんが、いつの頃からか村清めはサシマタ頭に変更されていました。
古老達によれば、悪霊を払う力があるのはシーシャ頭にある獅子であり、今年やっと本来の形に戻すことができました。
スリズに戻ったら旗頭を立てて全員でガーリを舞い、節祭の全日程は終了となりました。
ブガリ直し
衣装を解き、祭具をしまうと、全員でブガリ直しの準備です。
公民館のテラスに机と椅子を並べ、料理が並べられます。
限られた予算で運営される神事で供される料理は、すべて婦人達の手作りです。
ショーニチとは違った料理の数々に、婦人達の苦労が偲ばれます。
節祭の慰労会は、子供から老人までほとんどの住民が顔を揃えます。
美味しい料理に舌鼓を打ちながら、総務部長の進行で乾杯とスピーチが始まりました。
いつもなら酒が入れば本音が出て、途中で喧嘩が始まるのですが、先輩方は今日も満面の笑顔です。
ブガリ直しは何十回とやってきましたが、参加者全員が笑顔なのは初めてです。「宴」というものを初めて体験した気がします。
ササラニシの復活や村清めでのシーシャ頭の復活など、本来あるべき伝統を守りたいという青壮年の気持ちが伝わったのかもしれません。
来年は私がトゥチの残り番。
再び笑顔の宴が開けるようにしたいと思います。